35周年記念卓話
長尾武士会員(チャーターメンバー)
2003.5.9

  今月のガバナー月信を見ていましたら、我がクラブと同じ年に創立した坂出 東ロータリークラブの吉原会員の訃報が載っていました。お互いに初代の幹事 ということで手探りでクラブの運営に携わってきました。
  当初はまだ、クラブ数も多くありませんし、会員を募ることにおいてもぜん ぜんクラブの目的とか内容などまったく何も知らないで会員を募っていました。そういう苦労話をしたこともございます。その吉原さんが3月22日にご逝去されたということで、ご冥福をお祈り致します。
 当時を振り返ってみますと、高度経済成長に入った頃でございまして、建設業も忙しくて手が足りないという時代でしたので、時間が足りないし何も知らないのに初代の幹事でございましたので、今から思うと冷や汗をかく思いでございます。会員から聞いた話によりますと、親クラブだった高松南クラブの方が、「長尾クラブは空中分解するのではないだろうか」と心配していたようでございます。
 チャーターナイトの時、高松南ロータリークラブの奥野会員が、「長尾クラブは空中分解しそうなのでチャーターナイトに参加しにくい」と言ったそうです。ところが、チャーターナイトに来てみると、立派なチャーターナイトだったので非常に驚かれたそうです。
 我がクラブは、いざという時にはみんなで一丸となって一生懸命やるので、何事もはじめに思ったよりは、見事な出来映えになります。これが我がクラブの伝統的な長所ではないだろうかと思っています。
 高松南ロータリークラブの近藤先生も、たいへん心配されておられたようですが、なんといっても私自身、仕事は忙しいし、共々にやってきた岡部先生も大川病院へ来られて間もない時でしたし、そのうえにライオンズクラブが先に出来ていたので、大方の人材をそちらの方へ取られていたので、勧誘するにも窓口が狭かったとか、いろいろな悪条件の中でやってきました。今から振り返ってみますと、よくやれたものだなと、これも先輩の方々のご協力のおかげだと思います。
 昭和45年に四国の地区で7クラブぐらいできたのではなかったでしょうか。そのチャーターナイトに出席しました。それは夫婦同伴ということで、家内も内心ひやひやしながらも喜んでいたのではないだろうかと思います。というのは、チャーターナイトに出席するたびに、和服を新調して着て行きました。今の会員の奥さんには悲しいことに、そうした喜びというものがないわけでございます。その当時は、年に7回ぐらい行ったのではないでしょうか。非常に印象深い事柄もあったんですが、はじめはひやひやしていたのに、しまいには慣れてきて面白かった、というのが、思い起こされます。
 当時は会員数も少なくて、出席は今のように良くありませんでした。最初は出席のことは何とも思っていませんでした。そして、会場も適当な施設が見あたらなかったので、大川病院の地下室の食堂で例会をしていました。しかし当時、町議会で病院の施設を使うことに批判があったと聞いています。そういう経緯がありましたが、この藤林亭になってからずっとここを使っています。他のクラブは施設が多いので会場を何回も変えておりますが、それが当たり前のようです。いろいろと変わっているようです。我がクラブはここだけということでございます。
 それから、我がクラブが創立当初出席率が悪かったのは、高松まで行かなければメーキャップができなかったからで、地区内での出席率はかなり低かったです。5年後に白鳥ロータリークラブを我がクラブがスポンサーしてからは出席率が上昇しました。今では考えられないような運営がなされていましたが、現在はまともなロータリークラブとして機能するようになりました。
 高松のクラブではホームクラブで100パーセントの出席を何十年も続けておられる方がいらっしゃるそうですが、私も生きている間、100パーセントを続けるつもりでございます。しかし、ホームクラブでの100パーセントというのは難しいので、メーキャップをしながらずっと続けていきたいと思っています。皆さんもメーキャップをしながら100パーセントを続けていただきたいと思います。私の家内はロータリーの例会日には昼食を作ってくれません。だから例会日を忘れることはありません。皆さんも奥さんに協力してもらってそのようにされては如何でしょうか。
 では、ご静聴ありがとうございました。

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